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2016.07.29視察報告(国内)

東日本大震災・被災地視察報告 (横浜国立大学 経済学部 西岡大輝)

今回の被災地視察(2015年9月16日~17日)では、福島県内で震災被災者のお話を伺うとともに、 避難先の高齢者関連施設、仮設住宅、浜通りの被災地区などを視察いたしました。具体的には、桜風社、富岡町生活復興支援センター・おだがいさまセンター、バール・イルチェントロ、養護老人ホーム東風荘を訪問した(以上、いずれも郡山市内の訪問先として16日に伺ったもの)とともに、浜通りの被災地区の視察(17日に決行したもの)を行いました。

このような被災地視察の経験を通して最も印象深く感じたのは、これまで、私自身が「フクシマを忘れない」のフレーズをあくまでも形式面でしか捉えてこなかった、ということです。
もちろん、これまでにおいても、テレビ、ラジオ、インターネット、新聞などを通して、福島に関する情報に触れる機会はあり、未だに避難を余儀なくされている方々が多くいらっしゃることや、高い放射線量を検出しその危険性に直面せざるを得ない状況にあること等は、今回の被災地視察に参加する前からの既知の情報となっておりました。ところが、実際に被災地に訪れてみて分かったのは、そういった情報の中のご意見が1つ1つ異なったものであると同時に、それでもなお存在する重要なある共通項をもち合わせているものだということです。その重要な共通項とは、「フクシマ」を(排斥された)異世界のものとして考えるべきでないということです。

被災地視察では、多くの方々の「生」のご意見を伺いました。それは、「生」のご意見を伺うということそのものから覚える緊張感や、これまでの日常が失われたことによって覚える空虚感に富んだものであり、神奈川県内ではおおよそ感じられないものでした。もっとも、人たるものは皆何らかのリスクを抱えており、いつ財産を盗まれて悪用されるのかも分からないし、いつ地震が起こり建物の倒壊に遭って生命身体上の過大な不利益を被るかは分かりません。そうだとすれば、上記の緊張感や空虚感も、いわば「やむを得ない」ものとして希釈化することが許容されることになるとも解されるかもしれません。しかしながら、それでよいのでしょうか。
私は、そうとは思いません。たしかに、私のような若者世代の者は、福島県に原子力発電所を建設する旨の意思表示をしたわけではなく、責任論の観点からすれば、そのような者には責任がないようにも感じられます。しかしながら、そうだからといって、「フクシマ」を異世界のものとして考えるべきであるとは思いません。というのも、たとえ原子力発電所の建設自体に直接的な関わりを持っていなかったとしても、日本国民である私たちとしては、「日本国(及び東京電力)による電力開発政策によって、結果として福島県民を中心に多大な犠牲を齎すことになった」という事実を真摯に受け止めるべきですし、それを断ち切ってむりやり前進しようとする傾向はもとより、「フクシマ」に差別的な感情を抱く人がいる現状に対して「羞恥心」を抱くべきだからです。仮にそれすらも忘れてしまうと、この震災に対して国家が負うべき反省の契機すらも失われてしまい、数十年経ったある日には、日本国が「フクシマ」の方々の被ってきた、あるいは、被ることになる損害に対して責任を負う構造すらも失われてしまうでしょうし、また、仮に国家がその念を述べたとしても、中身の伴わない表面的なものに終わってしまいかねないと思われます。そして、このようなことが起こってしまうと、被災者は、行き場のない気持ちを一方的に抱え込まざるを得なくなるでしょうし、ひいては、かえって前に向いて(希望をもって)生きていこうという被災者の意思すらも損ねてしまうことにもなりかねないでしょう。
また、とりわけ、私たちのような関東に在住するものとしては、より真摯に原発事故の事実を受け止め、行動してゆくべき立場にある、と私は考えます。というのも、関東に在住する者は、これまで福島第一原発で生産された大量の電力を(福島県内の方々にお裾分けするわけでもなく)需要し、それをもって豊かな生活や急速な経済発展を享受してきたのであって、それにもかかわらず、一切の損害を引き受けることもしないという態度は改めるべきであると考えるからです。たしかに、電力を需要している分には、このような原発事故が起こることなんて想像にもしていなかったかもしれませんが、だからといって、結果として起きてしまった事故の損害を、(罪がないことはもとより)利益さえも受けてこなかった福島県内の方々に押し付けるのは、納得のいく話とはいえません。このことは、感情論や倫理観からも導かれることだと思いますが、経済学上の原理に則って考察してもいえることであると考えます。たしかに、汚染土等を東京電力管内のエリアにおいてどう分配すべきか、という問題は別個設定されることになるかもしれませんが、この問題は、現在福島県内の方々が抱える諸問題の大きさと比べると、それほど大きなものではないのではないでしょう。東京オリンピックの開催等で盛り上がるのは結構なことかもしれませんが、それをもって「フクシマ」の現状を有耶無耶にすべきではないということ、そして一連の損害が尽きるまでは、決して当事者としての意識を忘れるべきではないということを強く感じるようになった次第であります。

それでは、私たちはどうすればよいのでしょうか。私たちは、希望をもって前に向いて生きてゆきたいですし、嫌なことばかりを考えて生きてゆきたくはないはずです。しかし、そうだからこそ、私たちは、嫌だと思うことにも積極的に直視し、その解決に向けて真摯に取り組むべきではないでしょうか。このことは、一見すると矛盾しているように思われるかもしれません。しかしながら、私たちが希望をもつ権利を有するのと同じように、被災に遭われた方々も希望をもつ権利を有すべきなのであって、他の人にも希望をもっていただくためには、その人のいわば「闇」の部分も(迷惑にならない程度に)知る必要があるはずです。そうだとすれば、人々が「希望」をもつためには、「闇」の存在を自覚することが不可欠だと考えるからです。
もっとも、被災に遭われた方々の損害の態様は区々であるはずです。例えば、今回お会いした方々の中には、①かつて相双地区にお住まいになっていたものの、原発事故を機に、情報が明らかに不足していた中、不安感を抱えつつ避難を余儀なくされた方もいらっしゃれば、②治安の悪化や高濃度の放射線量といった諸問題を抱えつつも、福島第一原発から程近いところに今もなおお住まいの方もいらっしゃいます。また、そのような方々の中にも、例えば、①については、a)かつてのコミュニティーの喪失に悪戦苦闘しながらも、新たな居住地で新たなコミュニティーを形成しようと努力される方もいらっしゃれば、b)そのようなコミュニティーが円滑に形成されるよう、様々な工夫を凝らして施設運営をされる方もいらっしゃいますし、②については、c)家族の一部の構成員が避難したことにより、家族というコミュニティーを瓦解させてしまった方もいらっしゃれば、d)原発事故をめぐる損害に対する完全賠償を求めて、長期にわたる訴訟活動を続けられる方もいらっしゃいます。つまり、被災者の状況も決して一様ではないのです。
そのような状況下で、私たちにできることとしては、やはり1人1人のお声に耳を傾けることに尽きると思います。つまり、ある問題に対峙したときに、それに対して現在掲げられている(暫定的な)解決策は妥当なものなのか(例えば、「東京電力が提示する和解案は妥当なものか」や、「望ましい帰還政策とは何か」)を逐一考えていく必要があり、その際、決してある一定の価値観にとらわれず、多様な価値観に触れあってゆくべきであると考えるのです。
もちろん、当事者ではない者にとって、当事者本人の価値観を完全に計り知ることは極めて難しいのかもしれません。しかしながら、そうだからこそ、客観的に物事を考えられる立場にあると思います。例えば、おだがいさまセンターや東風荘では、「仮設住宅で孤立しがちなご年配の方々のコミュニティー形成の重要性を尊重したうえで、積極的にご年配の方々が定期的に集まれるような企画やスペースを提供している」という旨伺いました。そして、実際にそこでお住まいのご年配の方々は、「居場所が形成されて、人生が楽しくなった」という旨、私たちに伝えてくださいました。このような案が出され、ご年配の方々の楽しみが増えたのも、ご年配の方々のご意見に真摯に耳を傾けつつも、行政の方々との交渉を懲りずに行ってきた方々の存在があってこそのことだと思います。そうだとすれば、震災の直接的な被害に遭っていない私たちだからこそできることは、山ほどあるといえるのではないでしょうか。

これを、僭越ながら、私自身についてみてみます。そうすると、まず、私は、たいへん恵まれたことに、大学に通わせていただいております。そして、大学の中では、専門的なことを学習・研究するとともに、様々な方々と議論をしております。そうだとすれば、(これまでに賜った様々な恩恵のお返しをするというためにも、)私は、これまでに培ってきた知見を生かして、世間に存在する様々な難題に立ち向かってゆくべき立場にあるといえると考えます。
もちろん、完全に当事者の心情や立場を知ることは極めて難しいと思います。しかしながら、上記のような状況下にある自分としては、少なくともそれらを慮ることのできる素養は身につけているはずであり、さらに、今回、被災地視察に参加させていただいたことにより、(極めて部分的ではあると存じますが、)被災地の状況を見知ることはできているはずです。そうだとすれば、原発被害について考察しうる能力は、幾分か高まっている状態にあるといえると思います。例えば、先述した東電の和解案は、損害賠償論として、まさに法と経済学の素養に富んだ方々が活発な議論を繰り返している分野に該当するものです。そして、(「法と経済学者」と呼ばれるには程遠いのですが、)大学での学習・研究・議論を通して、そういった分野には頻繁に触れさせていただいております。つきましては、(現状としては、きわめて浅はかな知識しか兼ね備えてはおりませんが、)自分のありったけの素養を十分に生かして当該分野に深く関わってゆくべきであると考えます。
もちろん、それには、かなりの努力と高度な知識が必要とされると思います。ただ、今回の被災地視察を通して、私は、「被災地には、専門知識に富んだ人の数が少なく、例えば、行政側と噛み合った議論をしようにも上手くは行かないことが多々あるのもまた事実だ」という旨お伺いしました。自分は、そのような役を務めるにあまりにも力が不足しているかもしれませんが、そうであっても、本当に困っている方々に携えるような人材になりたい、そのために十分な努力をして知識を身につけてゆきたいと、強く感じさせていただくようになった今日この頃であります。

このように、今回の被災地視察は、非常に貴重な経験となりました。そして、今回の被災地視察で出会った皆さまがいらっしゃらなければ、このような経験をすることはできなかったと存じます。たいへん簡素な挨拶となり誠に恐縮ではありますが、視察の中でたいへん貴重なお話をくださった方々には、深く感謝の意を申し上げます。誠にありがとうございます。

〖 横浜国立大学経済学部  西岡大輝 〗

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